代表理事の想い

代表理事の想い

20111214県社協 004

2011年3月、東日本大震災が発生しました。被災地から遠く離れた鹿児島から被災地へ「何かしたい」という想いで、周りに呼び掛けて食べ物を集め送りました。送り先は、東京で活動するフードバンク団体、セカンドハーベスト・ジャパンでした。
セカンドハーベスト・ジャパンは、震災当日に首都圏の帰宅困難者に対して徹夜で炊き出し活動を行い、3月13日からは被災地へ向かい支援物資を届けていました。
もし鹿児島で大災害が起こったら、誰がこのような支援をしてくれるのか不安になっていましたが、答えは簡単に見つけられました。「何かしたい」が「フードバンクを鹿児島で始める」に変わったのです。

立ち上げ当初は、個人に呼び掛け集めた食品を被災地へ届ける活動だけを仕事の合間に行っていましたが、震災から日が経つにつれ食品提供に協力してくれる人たちが徐々に減っていきました。活動を一緒に手伝ってくれた仲間も離れていき、鹿児島で支援活動を続ける難しさを感じていました。一方で、本来のフードバンクの活動である地域の児童養護施設や路上生活者に対しての支援活動は全くできておらず、このままフードバンク活動として続けていけるのだろうかという迷いも生じていました。

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そんな時に、ある企業からビスケットの提供の話がありました。しかし、商品の受け取り場所が福岡でした。1人で、レンタカーを借り、少しでも節約しようと高速道路を使わずに鹿児島‐福岡の往復、自宅にビスケットを運び終わったのは翌朝の4時。
周りからは「なぜそこまでするのか」とか「そこまでやって何の意味があるのか」と冷ややかな目で見られました。鹿児島でフードバンクを続けられるのかという迷いも、ピークに達していました。

児童養護施設にビスケットを届ける鹿児島で初めてのフードバンク活動で、フードバンクへの迷いは一気に確信に変わりました。子ども達からの本当の気持ちがこもった「ありがとう」の言葉。
子どもたちが待っていたのは、ビスケットという「物」だけではなく、自分たちを気をかけてくれるという「想い」だったと思いました。

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フードバンクは鹿児島に必要です。今では迷いは一切なく、「フードバンクを鹿児島で始める」から「フードバンクを鹿児島に根付かせる」に変わりました。

今の世の中なにがどうなるかわかりません。明日急に生活困窮に陥るかもしれません。大災害が起きるかもしれません、いつ自分が支援を必要とする側になるのかわからないのです。そんな時にみんなで助け合えるフードバンク活動を文化として根付かせることが、今必要なのです。

フードバンクかごしまは、フードバンクという誰もが参加できる「場」を、鹿児島に創りました。次はみんなでフードバンクを活用する時です。「食品の寄付」「お金の寄付」「時間の寄付」できる人ができることで少しずつ参加することから始められればいいと思います。1人1人の少しを集められれば、きっと大きな力となって、食べ物に困っている誰かを支えることができるかもしれません。
これから、みなさんと共にフードバンクを鹿児島に根付かせていきたいと思っています。

2013年3月11日
NPO法人フードバンクかごしま
代表理事 原田一世